絶対音感は特別な能力ではない

絶対音感に関して最もよく誤解されるのは、絶対音感を持っている人は天才だ、または特別な才能、神業を持っているのではないか、と思われていることです。これは、絶対音感をトレーニングする方法がなかったこと、そして絶対音感を持っている人が非常に少なかったこともあり、生まれつきの特別な才能だという意見が、学者や音楽教育者の中にもいた、ということも要因になっていると思います。

 

しかし、現在では江口式のトレーニング法が開発され、相対音感がついていない幼児であれば、その訓練によって誰でも身に付けることができるようになりました。誰でも漢字を勉強すれば漢字が読めるように、学習によって獲得することが可能だということです。つまり、絶対音感は、トレーニングによって誰でも身に付けることができる「技術」の一つであり、既にありふれた能力となっているのです。

 

また、絶対音感は、何も手掛かりがない所でピンポイントに音が瞬時に判断できる能力にしかすぎません。鍵盤のあちこちに音をランダムに鳴らしても音が判別できるので、すごい能力だと思われがちなのですが、言ってみれば、所詮それだけの能力にしかすぎません。絶対音感は、それ自体、音楽的には非常に限られた能力に過ぎないのです。

 

従って、絶対音感を身に付ければ良い音楽家になるわけではありません。良い音楽家になるには、リズム感、拍感、相対音感、表現力、読譜力、テクニックなど、身に付けなくてはいけない能力は他にもあり、絶対音感を持っていても、これらの能力が欠けているようでは立派な音楽家になることはできません。

 

では、絶対音感はなくてもいいのではないか?という話になりますが、決してそうではありません。確かに、絶対音感を持っていなくて、優れた相対音感を持っている人で立派な音楽家は沢山いますので、絶対音感は音楽活動において必ずしも必要な能力ではありません。しかし、絶対音感を持っていた方が、持っていない人よりも音楽学習がはるかに楽になり、楽器の上達も比較的早く、様々な恩恵をもたらしてくれるのは事実です。

 

では、一体どのような恩恵があるのでしょうか?当教室のホームページでは、その様々な恩恵について述べていますが、ここではそのうちの主な3つの利点についてあげておきます。

 

1.相対音感訓練が楽になる

 

絶対音感を持っている人は、既に全ての音の高さが音名で分かるので、音を聴き分ける訓練が必要なくなります。また、聞こえてくる音をそのまま楽譜に書き取ることができるので、聴音の課題も楽にこなせます。もちろん、絶対音感がなくても相対音感があれば聴き取りは可能ですが、絶対音感がない場合、相対的な音関係で聞こえてきた音を、基準音を頼りに音に変換するという作業が脳の中で必要になってきます。これは結構面倒な作業です。


しかし、絶対音感を持っている人はそんな面倒なことをする必要がないので、聴音の課題がかなり楽にできます。シャープやフラットなどの臨時記号が多く付いても、また調性がない旋律でも正確に音名も何の苦労もなく聴き取ることができるからです。従って、耳コピが楽にできるので、楽譜に頼らなくても、知らない曲やメロディーを聞いて自分で再現できるのです。

 

【耳コピで注意すべきこと】
しかし、これには注意しないといけません。最近はYouTubeで無料で様々な曲が聞けるようになりましたので、お子さんが楽譜を読まないで耳で曲を覚えてしまうケースが結構あります。これをやってしまいますと楽譜を読むのが億劫になり、聴いたことのない楽曲の楽譜を渡されると弾けなくなったり、初見演奏ができなくなります。従いまして、当教室ではYouTubeなどの音源を極力聴かないように、どうしても見たい場合は、曲をある程度自分で仕上げてから、参考程度に聞くように伝えています。

 

世の中には、耳で聴いて覚えさせる「鈴木メソッド」がありますが、これは楽譜を読むことよりも、耳で音楽を聴いて身に付けさせる手法です。主にバイオリンの習得に使われる手法で、現在では他の楽器にも応用されているようです。耳で音楽を覚える方法は、感覚的で直感的な音楽の理解を促進する点で素晴らしいと思います。特に視覚障がい者や楽譜を読むことが難しい人々にとっては、貴重な方法です。しかし、楽譜を読む能力や音楽理論の理解が十分でないと、楽曲の構造や理論的な側面を理解するのに制約が生じる可能性があります。また、楽譜を読む能力が低下すると、複雑な楽曲や長い楽曲を正確に演奏することが難しくなり、また、初見演奏もできなくなります。

したがって、耳で音楽を覚える方法を採用する際には、バランスが重要です。楽譜の読み方や音楽理論の学習も併せて行い、耳での理解と楽譜での理解をバランスよく取り入れることが重要です。特にピアノなど情報量が多い楽器の場合は、楽譜を読む能力が将来の演奏や理解に不可欠であることを考慮する必要があります。

つまり、鈴木メソッドや耳で音楽を覚える方法は有益なアプローチである一方で、その限界や欠点も認識し、適切なバランスを保つことが重要です。

 

2.楽譜が正確に速く読める


絶対音感を持っていると、楽譜を読む時もかなり有利です。絶対音感を持っている人は、それぞれの音が頭の中にしっかりインプットされているため、音符を見るだけで頭の中で正しい音を鳴らせることができます。例えば、私のケースをお話すると、楽器店で行ってみたことのない楽譜に触れる時、頭の中でメロディーが鳴らすことができるので、どんな曲が入っているのかが楽器がなくても目でみて分かります。これは弾きたい曲を楽器店で選ぶ時に非常に便利でした。

また、ピアノを弾く前にどんな曲なのかがイメージできるので、曲を早くマスターする上で非常に有利です。頭の中で既に音のイメージがあるので、練習を初めても、自分が演奏している音が正しいのかどうか、聴いているだけで自分自身でダイレクトに確認することができます。

 

もちろん、相対音感を持っている人でも、楽譜通りに音が弾けているかどうかを確認することは可能ですが、絶対音感保持者の場合、楽譜に書かれている音の情報と自分が弾いている個々の音それぞれについてダイレクトに確認できるので、これはかなり有利な点であると思います。

 

自分が弾いている音が正しいのかどうかを確かめるには、楽譜に書かれている音と弾いている音が一致しているかどうか耳で確かめるしかありません。(音感のない人は目で弾いている鍵盤を確認する必要もあります。)相対音感の場合は、よほど精度の良い相対音感を持っていない限り、全ての複雑に絡み合っている音が正しいのかどうかを音を聴いているだけで瞬時に判別するのは難しいですが、絶対音感を持っている人は、音一つ一つに対してダイレクトに瞬時に判別できるので、これは非常に便利です。

 

3.暗譜がとても容易になる


絶対音感を持っている人は、音の高さを瞬時に正確に音名でダイレクトに把握する能力があるため、楽譜を見なくても、曲を正確に思い出すことができます。ピアノ曲は、上のレベルに行けば行くほど曲が複雑になり、情報量が膨大になります。それを正確に把握するには、音の情報を頭にきちんと入れないといけないのですが、絶対音感を持っている人はそれがかなり容易にできます。

もちろん、絶対音感がなくても、相対音感保有者でもそれは可能です。相対音感保有者の場合は、基準音を頼りに音を判別していたり、和音進行などの文法や調性やメロディーのパターンなどの手掛かりを使って記憶している部分が大きいですが、しかし、調性が曖昧になったり、無調性になった場合、それらの手掛かりが通用しないので、絶対音感保持者よりも暗譜に苦労します。ましてや音感がない人、またはあやふやな人は暗譜に更に苦労することになります。

例えば、これは実際に私の大人の生徒さんであった例ですが、ショパンのマズルカ作品59-2のレッスンをしていた時、後半のクライマックスの部分(81~88小節目)でいつもつっかえていました。この部分は、両手共に臨時記号も非常に多くて、何の調かも分からないとても複雑な不協和音が続くところです。この生徒さんは、この箇所を弾くのにとても苦労をしていました。その生徒さんは絶対音感はなく、相対音感もあやふやなレベルだったので、レッスンの度に音の間違いをこちらが指摘しても、なかなか修正できず、レッスンに来られる度にどこかしら音をいつも間違えて弾いていました。この箇所は絶対音感がない人には非常に聴き取りにく、優れた相対音感を持っている人でも苦労して習得する所だと思います。子供の場合は運動能力で覚えてしまうことが可能かもしれませんが、大人の場合はそれが限られてしまうため、何度練習しても、音を聴く耳が鍛えられていないから修正が大変困難になります。もちろん、暗譜も大変困難になります。

 

【暗譜についての誤解】

1つ、暗譜についての誤解を申し上げますと、暗譜というのは、曲を覚えるまで何度も練習し、楽譜を見ないで弾けるようになったら暗譜が出来た、というものではありません。実際に発表会など人の前で演奏された多くの方に経験があると思いますが、弾いている途中で分からなくなり、演奏が止まってしまうことがあります。これは、当教室でも過去に大人の生徒さんでそのような状態になったことがありました。

 

何故このような現象が起こるかというと、指の動きだけでで、つまり、体で覚えているところが大きく、楽譜に書かれている音符一つ一つを正確に記憶しているわけではないからです。右手、左手共に弾いている曲を楽譜に全て書き起こしてみるとわかりますが、ほとんどの生徒さんは楽譜に書かれている通りに正確に書くことができません。したがって、暗譜ができたと言っても、実際はかなりあやふやな場合が多いです。

 

従って、きちんと暗譜をするには、体で覚えるだけでなく、意識的に音の情報をしっかり頭にインプットしておく必要があります。絶対音感を持っている人は、音が音名でダイレクトに聴こえてくるため、音を記憶するスピードも早くかつ正確にでき、楽にできるという点で大変有利です。

 

従いまして、結論として、絶対音感はなくても良いものではなく、あった方が絶対に便利なため、苦労してでも習得する価値が十分にあるものだと断言できます。

 

2024年05月01日