外国人を教えるには、日本のことを良く知る必要がある

当教室には、外国人の生徒さんもいらっしゃるが、今更ながらに日本語のこと、日本について深く知る必要があることを痛感している。

 

先日のピアノレッスンで、ある生徒さんが習っている曲の中に日本の歌があり、「えっさほいさ」という言葉が出てきた。その子は、小さい時から日本に住んでいるので、日本語には困らないものの、この様な、日本の子供達が意味も分からず何気なく歌っている言葉が分かるはずもない。

 

「これはね、昔の人達が何かを運ぶ時に言った掛け声なんだよ。今はほとんど聞かないけどね。」と説明すると、その子は「ふう~ん、そうなんだ。」と納得したかのように歌い始めた。

 

歌付きの曲の場合、日本語の意味を全部理解しているかどうか、一語一語、必ずその子に確認しているが、時に説明が難しい、もしくは私の方でよく理解していない言葉に出会うこともある。その時は、間違ったことを教えてはいけないので、来週までに調べてくるね、と約束をしている。

 

その子は、ピアノレッスンを始めた時、てっきり英語コースを取ると思っていて、彼女の父親もそれを望んでいたが、当の本人は日本語コースで受けたい!と言った。おそらくこれは、私がアメリカへ留学した時に日本語を全く使いたくない、と思ったのと同じ心境ではなかろうか、と思い、学校でも他の日本人生徒に引け目を感じないように、レッスン時では日本語のこと、日本文化のことをできるだけ伝えるようにしている。

 

その分、こちらの勉強も増えたわけだが、日本語や日本文化は調べると、結構自分では分からないことがまだまだ沢山ある。日本の歴史も学校では学んだものの、改めて目を向けるようになり、日本の良さを再確認するのは大切なことだと痛感している。

 

「国際人であるまえに立派な日本人であれ」という言葉があります。これは単に日本人らしい振る舞いを指すものではなく、むしろ日本の事柄を理解し、歴史を含めて熟知していることが求められているのではないかと思います。国際人であることは、単に世界事情に通じているだけでなく、同時に日本の事情にも深い理解を持っていることを意味します。これを理解し、説明できなければ、立派な日本人として振る舞うことは難しいでしょう。最近では、日本の歴史だけでなく、経済についても十分な理解を持たないまま政治家となる例が増えているように感じます。こうした政治家が国際舞台で活動すると、その影響は想像に難くないでしょう。したがって、国際人としての資質を備えるためには、自国である日本の事柄に精通していることが極めて重要です。

2017年02月09日